『嚆矢』
 ――日々の恥は書き捨て――
 
 日記ログ
  
  ――― 8月 後半―――
 
 


   8月16日 (火) 曇りのち雨  相談
 
 
 
 親類がうちに来て色々と相談事。
 
 「聞く耳持たなければ何を言っても無駄」
 そういう事を言って、締めくくった。
 だってそうじゃない。
 「困った」といい、相談するから助言すると
 その場では「そうそう、そのとおり」と言うが
 結局そのとおりにはしないんだから。
 
 指揮能力というか影響力というか、そういう
 頼りになる部分・魅力に欠けてるヤツが何をして
 その場を仕切ろうとしてもムリなのだ。
 
 
 勿論、ボクも含めて、な。
 
 



   8月17日 (水) 曇りのち雨  夕立
 
 
 
 二日続けての夕立。
 
 午後3時から5時まで鮎釣りで釣果は7尾。
 後半一時間で立て続けに掛かった。
 雨は納竿後に降り始めた。
 
 これで連休は終わり、明日から仕事だ。
 川遊び満喫できたが釣果は今ひとつだった。
 
 
 





   8月18日 (木) 晴れ  こうめい
 
 
 
 通りがかりのおばあさんにまで
 「公明党をよろしく」と言われた。
 
 その地区に学会さんが多いからなのだが、
 鬱陶しくてたまらん。
 お前らが固まって支援すればいいじゃないか。
 公明党が躍進しても「創価学会の力」にしかならず
 一般の有権者が白けてしまってるという状況に
 まさか気付いてないはずも…あるか。あるかもな。
 
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 鮎に感けてシロギスを疎かにしてしまって
 今年の夏は一度も行ってない。
 新しいオンナ…というわけじゃないんだが。
 
 かつては「おそらく一生、この釣りを止めないだろう」
 と思っていたが、砂浜の状態が年々悪くなり
 釣り場も釣果も減ってきて面白みが薄れてしまった。
 釣り自体は今でも魅力的で、行き始めたらまた
 以前のように通い詰めるだろうと思う。
 
 
 ↑を、異性に対する感情の変化に喩えると納得が
 
 



   8月19日 (金) 晴れ  雨乞い
 
 
 
 入道雲も見飽きてしまった。
 
 ここのところ、夕立を警戒しての仕事で
 ピリピリしている。
 空を見上げて雲を気にしたり、
 風が冷たくなると山の方を見たりで
 落ち着いて仕事が出来そうにない。
 とはいえ、水不足は他人事ではない。
 
 【ダムの貯水率が0%に】などと報じられ
 「雨が欲しい」と切実な思いで空を見上げる住民。
 仕事に障るからと夕立ちを敬遠してはならない。
 まとまった雨がないのは此方も同様だ。
 
 



   8月20日 (土) 雨のち晴れ  少々
 
 
 
 雨不足だ水不足だと言ってたら
 今朝、申し訳程度に降る。余計に暑い。
 
 数日雨があるようだが明日は釣りに行く
 底物をする義兄に同行してイガミ釣りだ。
 夏場に釣るのはあまり…なのだが。
 
 



   8月21日 (日) 雨  ハゲ
 
 
 
 釣れなかったことを「坊主」という。
 
 今日?釣れたよ、釣れた。
 師匠なんてダブルで型のいいのを上げた。
 
 
 
 マルハゲ(カワハギ)
 
 …って、どこ見てんのよ!
 デリケートな部分を直視しないでちょうだい!
 視線が斜め上の方にいってるじゃないの!
 マルハゲって名前なの!そーゆー魚なの!
 (そういやウマヅラハゲってのもいるよな)
 
 
 「釣れれば勿論いいが釣れなくてもそれはそれで」
 今日の釣りはそんな感じ。
 雨に降られても雷が鳴っても(これはダメだが)
 新しいポイントを知ることが出来たし
 久しぶりの海釣りだったし、ピトンの不具合に気付けて
 手入れすることができたし…と良いトコ探しの様だが
 本命がなかったわりに面白かったので良かった。
 
 
 
 ただ、帰って洗ってた竿が固着しちゃったのがマイナス。
 元竿に戻らん!水吸い込んで張り付いたみたいだ。
 
 



   8月22日 (月) 雨のち晴れ  不毛
 
 
 
 ウチの前に「ゴミ集積カゴ」を置いてるのだが
 どうも面倒なことになった。
 
 元々ウチで作った(材料を用意して知人に依頼)もので
 一軒では大きいサイズなので近所の家も一緒に入れれば
 カラスやネコから守れて良いと思ったんだが…
 知らないうちに入れてる家が増えてやがんの
 個人ではなく役所で用意されてると勘違いか?
 いや、そんなはずはないのだが。
 しかも先週の中頃になって、黒いゴミ袋に入った
 ペットボトル・発砲スチロール・残飯 の無分別ゴミ。
 
 指定のゴミ袋に入れず、しかも分別されてないゴミ袋が
 何日も回収されないまま放置とあっては・・・
 カゴを設置した手前、いつまでも放置は出来ないし
 こんなのが続いたら毎回ウチで処分するハメになる。
 
 とりあえずカゴを撤収して様子見。
 改善されないようならそのままになるかもしれない。
 若しくは『@@家、××家、●●家用ゴミBOX』などと
 但し書きをするか、だ。
 なんでそこまでせにゃならんのか。
 
 ・「ウチのゴミも入れさせて」と声をかける
 ・指定のゴミ袋に入れる
 ・きちんと分別する
 ・指定日に出す
 
 当たり前のことを当たり前にしてくれれば問題ないのに。
 
 
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 ――日本の歴史謝罪は不毛――
 (米国の大手紙ウォール・ストリート・ジャーナル)
 
 >「無視される日本の謝罪」と題した社説は、
 >小泉首相の談話と靖国問題を取り上げ、
 >「謝罪への中国の公式な粗野な反応は、
 >『歴史』が北京政府にとっては苦痛の種というより、
 >有用なカードであることを示した」と論評した。
 
 >社説は首相談話のうち、
 「植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に対して
 多大の損害と被害を与えた」とする「おわび」を紹介し、
 >「これでも謝罪ではないというのか」と中国側を批判した。
 
 >小泉首相が15日の終戦記念日に靖国参拝しなかったことを
 >本来なら賞賛すべきなのにそれをしなかったと指摘
 >「中国のメディアは国会議員が靖国参拝したことを非難した」
 >と述べ、中国が要求を次々に引き上げていくことを指摘
 >「中国は日本のより活力ある外交政策を受け入れるように
 >なるまでは、日本が十分に謝罪をしていることを
 >決して認めないだろう」と強調し、
 >日本にとってこの種の謝罪が不毛だと暗に指摘した。
 
 
 
 指摘の王様:シテキング(分かる人だけ分かればry
 
 客観的にみればこうなるんだが・・・
 何か他の思惑が絡むと(笑)違った見解になる。
 
 叩きたい、不満の目を逸らしたい、要求したい・・・
 国内にもこういうのがいるからややこしい。
 野党、特に民主党を支持できない最大の要因が外交姿勢。
 かつての村山首相みたいなのが出てきたら後々困る。
 村山・河野などの「謝罪と賠償のセットで大安売り」が
 負の遺産として残されているのをみれば分かる。
 支援のための資金援助はある程度納得なのだが
 対中ODAみたいなのが出来たり増えたりされちゃたまらん。
 
 
 「10の要求を認めると15の要求を始める」
 「更なる賠償を求めるため、謝罪を認めない」
 
 車での事故で“相手が悪かった場合”によくある光景だ。
 見舞い→「会いたくない」と拒否→「来なかった」と言い出す
 誠意をみせろ→謝罪→そんなものでは伝わらない
 保険とは別に代金請求→支払う→関係ない部品交換も要求
 
 
 靖国とか教科書とか油田とか、ちょうどそんな感じよね。
 
 



   8月23日 (火) 曇りのち雨  スレスレ
 
 
 
 雨をギリギリで躱して仕事を終える。
 数分遅れで雨が本降りになった。
 
 
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  ――「百人斬り」訴訟 ――
 
 >遺族側請求を棄却した判決を受け、
 >原告の旧日本軍将校の遺族側と
 >被告のジャーナリスト本多勝一氏らが
 >東京・霞が関の司法記者クラブで、それぞれ記者会見した。
 
 >「百人斬りは物理的、理論的にもあり得ないと確信している。
 >判決で『なかった』と明確に示されず、残念だ」と話し、
 >「あり得ない武勇伝を書き続ける本多氏は
 >ジャーナリストとして許されるのか。書き得だ」と批判した。
 
 >これに対し、本多氏は「全く当然の判決。
 >もともと歴史上の事実で、疑問の余地はない」と淡々とした表情。
 >「本来、歴史のテーマである問題を裁判に持ち込んだこと自体、
 >南京大虐殺や中国侵略の事実を否定しようとするものだ」と指摘した。 
 
 
 「百人斬り」は浅海、光本、安田特派員発の記事で
 当時の東京日日新聞(今の毎日新聞)に掲載されたもの。
 (本多勝一氏は朝日新聞の記者)
 
 歴史上の事実? んなワケない。
 事実を曲げても“歴史を作った男”になりたいという
 安っぽい功名心ゆえの過ちだ。
 
 ・南京攻略戦は砲撃・銃撃中心で、大規模な接近戦はない
 ・野田毅少尉は大隊副官、向井敏明少尉は歩兵砲小隊長で
  この二人が白兵戦に参加することはまずないと言える
 ・日本刀で百人を斬ることは不可能
 ・「百人斬り記事」は当時の記者本人が実際にみたわけではない
 ・目撃者はいないうえ証拠もなく、該当する遺体もない
 
 これが客観的にみて「歴史上の事実」といえるか?
 
 
 「なかったということを証明しろ」というのは
 悪魔の証明と言われるもの。
 本来、証明をするために証拠を提示するのは
 「あった」を主張する側の責任であり、
 それに対して「なかった」側が「ないという根拠」を出す。
 互いの主張で、その証拠が信用に足るかどうかを議論する。
 
 ところが、今回のケースでは
 「あると言ったらある。これはもう事実。動かない。」
 と、頭から「あった」が前提となっている

 本多氏は髪の白い駄々っ子か?
 
 
 
  ※ 悪魔の証明(あくまのしょうめい)
  モノ・行為の存在を巡って、「あること」に比較して
  「ないこと」を証明することが極めて困難であることを
  比喩する言葉である。鬼の証明ともいう。
 
 



   8月24日 (水) 晴れのち曇り  ばつ&てりー
 
 
 
 バッテリーで魚獲ってるヤツがいるらしい。
 
 昔はまあよくあった話だったが、
 近頃は監視も厳しいこともあって聞かなくなった。
 ところが最近になってどうもそういう話が
 ボクの耳にも入ってくるようになった。
 無粋というか強欲というか、とにかく不愉快だ。
 
 
 自分の腕(技量)で魚を釣る・獲ることは
 面白いと思うが、そんな漁法(違法)で
 魚を一度にたくさん獲って面白いのだろうか?
 聞けば、生活に困ってるわけでもなく
 商売をやってるわけでもなさそうだし…
 
 アマゴにせよウナギにせよ、あれやるとダメになる。
 大きな川でやるわけではなく谷川や沢でやるものなので
 根こそぎ獲られると後に残らなくなってしまうからだ。
 そうやって自分で自分の首を絞めるような行動で
 周りまで迷惑をかけることは止めて欲しい。
 
 「もうあの渓はダメだな…」
 そんなセリフは言いたくも聞きたくもない。
 
 



   8月25日 (木) 雨のち曇り  シーズン
 
 
 
 ネットであちこを覗いていると
 「夏休みのお子様」の姿をよく見かけた。
 まあ、実際には“それっぽい”という程度で
 本当にそうなのかは断定できないが。
 こういった連中を夏休みの厨房(中坊)の意味で
 “夏厨”と呼ばれるらしい。
 
 
 「一般閲覧者」と「2ちゃんねらー」の境界線が
 どこら辺にあるのかは知らないが、たとえば
 「一度でも参加(書き込み)したことがある」
 であれば、ボクは該当者だ。
 
 釣り板によく行くのだが、いつも見てるスレッドで
 この“夏厨”がクダラナイ言い争いを始めていて
 本来の話題が全然出てこなくなってしまった。
 互いの意地の張り合いで周りがウンザリする、という
 たいへん迷惑なモノとなっている。
 
 
 毎年あることで最早「夏の風物詩」の感があるが
 やはり夏休みが終わらないと治まらないのだろうかと
 ちと不安になっている。
 早く終わらないとシーズン終わるじゃないか!
 
 



   8月26日 (金) 晴れ  蒸し
 
 
 
 台風の進路によって通過後の気温が変わるそうだ。
 今回は南から北へ(後、東寄りに変わる)だった。
 
 南から上がってくる場合、台風が通った道へ
 南の暖かく湿った空気を“呼び込む”ため
 「台風一過」の気温・湿度が上がる。
 西→東(沖縄方面から進路を東寄りに変える)の場合
 西からの空気を呼び寄せて秋の空気になる、という。
 
 
 今回の台風は南→北だったため、今日は暑く蒸せた。
 理屈はいい。暑くて蒸せたの!
 
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
  東京大空襲で集団提訴へ
   賠償、謝罪求め遺族ら
 
 >約10万人が亡くなったとされる1945年東京大空襲の
 >遺族や被災者が、国に対して損害賠償や謝罪を求める
 >訴訟を起こす方針を固めたことが26日、分かった。
 >東京大空襲の遺族らがつくる「東京空襲犠牲者遺族会」が、
 >24日の世話人会で提訴の方針を確認した。
 >原告や弁護団を募った上で、来年3月までの提訴を目指す。
 >同会によると、実現すれば空襲被害に対する集団提訴は
 >戦後60年で初めてとなる。
 
 
 反戦運動のための訴訟活動はいい加減に止めてもらいたい。
 もしそうでなく純粋に訴訟を起こしてるとしても、
 「相手を間違ってませんか?」だ。
 無条件降伏してる以上、訴えるのはムリだけど。
 (あ、平和条約も締結してるか)
 
 
 韓国じゃあるまいし
 
 



   8月27日 (土) 晴れ  放流
 
 
 
 午後からの仕事が来週に延期。
 急な話だったので特に予定もなく、
 まあ釣りにでも行こうかと用意していると
 母が友人と帰宅。
 急遽、エビ獲りに…数稼ぎにボクも参加。
 
 
 この時期にしては(連日エビ獲りの人が来てる)
 かなり多い方だと思う。鮎用オトリ缶(旧型)へ
 折り重なるように入ってたから。
 バケツにほぼ半分近くあった。
 
 あと…数年ぶり、いや、十年ぶりくらいだろうか
 ウナギの子が網に入った。大きめのミミズくらい。
 
 
 
 飼おうかと考えたが結局放流。
 大きくなったらその時は容赦なく獲るでぇ。
 
 



   8月28日 (日) 晴れ  チャリコ
 
 
 
 朝から投げ釣りに。
 最初の場所はチャリコ(真鯛の子供)でいっぱい。
 どこへ投げてもどう避けても釣れてしまう。
 
 小さいものは放すのが常識なのだが
 中にはどうしてもそう出来ないのが出てくる。
 ショックやら掛かり所の悪いのやら、そういう原因で
 死んでしまうのが出てくるためだ。
 手の平やや大きめのチヌ1尾とチャリコが…
 そう、投げた数・針の数と言っていいくらいだった。
 持ち帰ったのはサイズのいいのと掛かり損ね(死んだ)が
 5・6尾、というところか。
 
 これではダメだと移動。
 キスばかりで35尾くらい(きちんと数えてないが)
 袋に入りきらず二つに分けたほどだった。
 500円分のエサを使い切るまでの予定で釣ったら
 1時過ぎまでで無くなってしまった。
 前半の消耗が激しすぎた。
 
 





   8月29日 (月) 晴れ  サド
 
 
 
 この時期、小学生を見るとつい
 「長かった夏休みが終わり。宿題は終わった?」
 などと、塩を擦り込むような発言がしたくなる。
 想像だけでゾクゾクする。
 そうか、ボクはサドっ気があったのか!
 
 ところで、深夜番組の「考えるヒト」が面白い。
 今は「考えるヒトコマ」になってしまったが。
 四コマはグダグダな時もあるが出来が良い時もあり
 むしろ作品より製作段階が面白い。
 
 
 そして、中田有紀アナのあの目が。
 表情をかえずに番組を進行していく、ドSっぷり
 ダウンタウン松っちゃんのボケを軽く流したり
 冷たくあしらったりしつつ「で、何?」という視線。
 「今、喋ってるあいだにも考えてください」
 などの言葉責めでイジリ倒す
 松っちゃんがMなのでスゲエうれしそうだ。
 その表情にちょっと嫉妬してしまう。
 
 参考資料
 『痴れ者・・・』
 http://to-syu-sensei.no-blog.jp/tousyuu/cat1121578/index.html

 
 
 え? ボク、Mなわけ?
 
 



   8月30日 (火) 曇り一時雨  話題
 
 
 
 海でも川でも、釣りに行くと通りがかりの人や
 周りの釣り師との間で情報交換が始まり
 “釣り談議”の場が出来ることがよくある。
 
 まあ、釣り談議やってる時は釣れない時が殆どだ。
 
 日曜日に投げ釣りに行ってきたことはもう書いた。
 その時に隣に寄ってきたオッチャンは強烈だった。
 負けん気の塊というか知ったかぶりというか…
 あんな楽しくない会話を1時間近くもよく耐えたと思う。
 その感想を一言で言えば、こうだ。
 
 「あのなあ、お前はボクのそばで釣りをしないでくれ。
 一時、喰いが止まることなんて良くあることなんだ。
 それをイライラして大声出したりしないでくれよ。
 こっちまでイライラすんだろ!いいか、お前だけが釣りを
 してるわけじゃないんだ。ボクだって楽しみたくて来てる。
 こちらが釣れてるからと様子見に来るのは良い。しかしな、
 仕掛けや道具を見て“あー、こんなの使ってるんだー”と
 言いつつ薄ら笑いをするなっての!あーあーそうですよ。
 アンタみたくエエ竿もリールも持ってやしませんよええ。
 5本針仕掛けも使ってない(今日は)。でもね、こんな
 喰いが渋い時に5本もいらん。使えないんじゃなくて今日の
 この状態では不要だから使わないの!それと――― 」
 
 一言では済まないので止めるが、
 釣れないグチ→道具のチェック→自慢話→ボクが釣れだす
 →カラみ始める→「チッ!」とか言う→荒々しく片付けて移動
 こんな露骨な行動をするオトナなんて滅多にいないと思う。
 
 
 今日、時間があって半日釣りをしてきた。同じポイントで。
 ・・・いたよ、あのオッサンが。
 また釣果を聞きに来たので見せると「ふん」といった態度。
 「ワシはこれだけだぞ」と見せるのでクーラーを覗くと
 だいたい15尾ほど入ってた。
 そのときは昼時だったが、オッサンは早朝からいたという。
 「ボクは10時過ぎから2時間ほどで10尾なんだけどなあ…」
 とは思ったが、言うと絶対にウンザリな結果になるだろうから
 「今日は負けますよ」と言っておいた。
 オッサン、日曜日は18尾だったらしい。
 そんないい道具持っててそれかい!とは言わない。ボク大人だもん。
 
 
 満潮からはまるでアタリなし。
 とりあえず目標の30尾を15尾に下方修正してなんとか達成し
 早々に引き揚げた。
 オッサン、あれからサッパリだったが。
 まさか同数ではないだろうな?
 勝敗はどうでもいいが、あのオッサンとはもう出会いたくない。
 
 



   8月31日 (水) 雨のち曇り  夏の終わりに
 
 
 
 投げ専用リールの部品を交換。
 まあしばらくキス釣りには行かないと思うんで
 分解して注油を済ませた。
 
 明日から世の親御さんたちは我が子の居ない
 家の中で淋しい思いをするんだろう。
 いや、やっと解放された!と思うんだろうか。
 
 季節の終わりに、なんとなく寂しい気になるのは
 夏だけな気がする。
 冬の終わりは、ようやく暖かくなる開放感があり
 春が終わっても「いよいよ夏!」となるだろう。
 秋の終わりは寂しくあるが、少し意味合いが違う。
 秋そのものが寂しく物悲しくなる季節であり、
 季節が終わるからというものではなく
 冬へ向けての感傷の方が強い。
 夏の終わりは混雑してた場所が寂れていくのが
 あまりに短期間で分かるためにそうなるのだろう。
 
 
 
 すっかり人が少なくなった砂浜を見て
 「浜を独り占め!投げ釣り三昧!ヒヤッホー!」
 ・・・ゴメン。ブチ壊し。
 
 




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